| 【 二十三士殉節地 】 |
・所在地 田野町中川原
・所有者 田野町
安芸郡下の同士を糾合し、藩論の挽回と、投獄中の武市半平太以下の同志の救命とを藩に歎願し、同志二十三士、野根山に屯集したが、藩はこれを以て反逆を画するものとし、とらえられて元治元年9月5日、首領清岡道之助以下二十三烈士が処刑された殉節地である。現在の記念碑は、昭和5年天皇御大典記念として町青年団が建てたもので、碑面には故浜口雄幸元内閣総理大臣の書が刻まれている。 |
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| 【 清岡道之助旧邸 】 |
・所在地 田野町字土生岡4577
・所有者 田野町
邸の周囲数町歩の耕地はもと郷士清岡家の領地だった所であり、また元治元年9月5日奈半利河原の露と消えた二十三士の首領清岡道之助と弟半四郎(後の公張「元老院技官」)の生家である。
道之助は、土佐勤王党の党首武市瑞山と意気投合し、同士となって行動を共にしていたが、他日投獄されていた瑞山等の出獄と藩論統一を主旨とする嘆願書を藩庁に提出したるも入れられず、同志と共に元治元年(1864)9月5日奈半利河原で処刑された。二十三士の首領清岡道之助の旧宅、昭和48年4月1日、清岡暎一氏より田野町に寄贈された。 |
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| 【 浜口雄幸旧邸 】 |
・所在地 田野町字中森次378
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所有者 田野町
宏大な屋敷に質素な建物、簡素な庭園等旧郷士の代表的建物といってよい。
元内閣総理大臣浜口雄幸は、旧制第三高等学校在学中高知市五台山唐谷の水口家から浜口家に養子にこられた。清岡道之助夫人静は雄幸夫人夏子の伯母にあたる。
旧邸は昭和52年、浜口直氏より田野町に寄贈され、昭和55年3月修復工事がなされた。邸前には”なすことの いまだ終わらず 春を待つ”の雄幸直筆の碑と県民政党支部が制作し、元郵政大臣大西正男氏から寄贈を受けた胸像が建っている。 |
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| 【 臥竜梅 】 |
・所在地 田野町字目後町1894-1
・所有者 長法寺
この紅梅の木は、樹齢推定250年以上の黒竜伏臥の状を呈し、早春開花の時は鐘桜に映じ見事な眺めである。もと旧西福寺にあったのを移植したと伝えられている。西福寺は、八幡宮の北大師堂と地蔵堂の所にあった寺。 |
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