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県指定文化財
 
【 岡御殿 】
・所在地 田野町字東町南角2147-1
・所有者 田野町
 岡家は米屋と号し、豪商田野五人衆の随一で、祖先岡氏は泉州から山内候に従って田野に来たと伝えられている。岡家は特独礼の格式でたびたび藩に御用銀を調達した。藩主の宿泊所として建てられたこの書院造りの建物は天保時代に建て替えられ、上段の間に近侍の間が並び、その外に一間の次の間が廻って、その外側に三尺の廻廊と切縁がある。そして溜りの間、便所、湯殿やその家具に至るまで完全に保存され、当時の建築様式がそのまま残されている。

【 旧岡家住宅(西の岡) 】
・所在地 田野町字西町南角1846-2外
・所有者 田野町
・指定  平成9年5月6日 高知県保護有形文化財指定
 西の岡邸は岡御殿を間近にひかえた一画に位置する旧家であり、長く製材や回船を業とする豪商の家であった。
 岡御殿の「本陣」としての性格、その由緒はよくしられるところであるが、当家は元々岡家の分家であったものが昭和初期、浜川氏に譲渡され、その後町の所有となったが、古くは「西の岡」と呼ばれ「脇本陣」として随勤の重臣などの宿泊に当てられたという家柄である。
 特徴としては式台・表座敷等一定の格式は整えられたうえで、回船・酒造などを営む商家としての機能を持ち合わせており、間取りにもその特殊性が見られる。規模・意匠ともに上層商家の格式を伝える貴重な文化遺産といえる。



【 二十三士の墓 】
・所在地 田野町字堤ノ内839
・所有者 福田寺
規模
縦2m50cm、横12m1cm、高さ75cmの石段積み基礎の上に、墓石より1m28cmの墓碑が23柱並んで立っている。
建立
元治元年9月5日早朝、奈半利河原において斬首された23名の死骸は、盟主清岡道之助の遺言によって福田寺境内に埋葬された。明治 24年特旨により、清岡道之助以下、贈位を受けた際、道之助の妻静によって修築される。大正2年、静は私財を投じて、現在の墓碑をたて、再改築し、現在に至っている。墓碑銘は東久世通禧の手になる。
解説
武市瑞山を首領とする土佐勤王党は尊王攘夷を唱えて藩政を改革しようと努力するが、公武合体派の勢力抬頭して非常な圧迫を受けることとなり、文久3年9月21日、首領武市瑞山はじめ主だった者14名投獄され、土佐勤王党の勢力は潰滅的打撃を受ける。清岡道之助、同治之助らは、同士たちと語らい県下7郡の同士たちと一斉に蜂起し、志士たちの釈放と藩政改革を藩庁にせまることを申し合わすが歩調がそろわず、遂に元治元年7月25日、安芸郡の同志23名が野根山に屯集する。一同嘆願書をもって藩庁にさし出すも、藩は軍監小笠原唯八をして、兵を野根山に派遣する。清岡道之助以下22名はやむを得ず大阪に脱出しようと、かねて打合せどおり、甲浦に至るも嵐のため回船不可能となり、阿波に入る。
  一行は宍喰の番所にて武装を解き、阿波藩の処遇に服す。9月3日、志士23名は、土佐藩に引き渡され送還、田野岡地の郡奉行所の獄舎につながる。藩庁では志士たちの処分につき兵器ををもって屯集したことは藩主に対する反抗であるとし、奈半利河原において斬首と決した。元治元年9月5日早朝、23名の処刑は行われた。首領清岡道之助の首は高知の雁切川原にて晒された。明治10年、一同の族禄は復活され、さらに明治24年にはその功績により特旨をもって贈位された。


 
町指定文化財
 
【 二十三士殉節地 】
・所在地  田野町中川原
・所有者  田野町
  安芸郡下の同士を糾合し、藩論の挽回と、投獄中の武市半平太以下の同志の救命とを藩に歎願し、同志二十三士、野根山に屯集したが、藩はこれを以て反逆を画するものとし、とらえられて元治元年9月5日、首領清岡道之助以下二十三烈士が処刑された殉節地である。現在の記念碑は、昭和5年天皇御大典記念として町青年団が建てたもので、碑面には故浜口雄幸元内閣総理大臣の書が刻まれている。

【 清岡道之助旧邸 】
・所在地 田野町字土生岡4577
・所有者 田野町
  邸の周囲数町歩の耕地はもと郷士清岡家の領地だった所であり、また元治元年9月5日奈半利河原の露と消えた二十三士の首領清岡道之助と弟半四郎(後の公張「元老院技官」)の生家である。
  道之助は、土佐勤王党の党首武市瑞山と意気投合し、同士となって行動を共にしていたが、他日投獄されていた瑞山等の出獄と藩論統一を主旨とする嘆願書を藩庁に提出したるも入れられず、同志と共に元治元年(1864)9月5日奈半利河原で処刑された。二十三士の首領清岡道之助の旧宅、昭和48年4月1日、清岡暎一氏より田野町に寄贈された。

【 浜口雄幸旧邸 】
・所在地 田野町字中森次378
・ 所有者 田野町
  宏大な屋敷に質素な建物、簡素な庭園等旧郷士の代表的建物といってよい。
  元内閣総理大臣浜口雄幸は、旧制第三高等学校在学中高知市五台山唐谷の水口家から浜口家に養子にこられた。清岡道之助夫人静は雄幸夫人夏子の伯母にあたる。
  旧邸は昭和52年、浜口直氏より田野町に寄贈され、昭和55年3月修復工事がなされた。邸前には”なすことの いまだ終わらず 春を待つ”の雄幸直筆の碑と県民政党支部が制作し、元郵政大臣大西正男氏から寄贈を受けた胸像が建っている。

【 臥竜梅 】
・所在地 田野町字目後町1894-1
・所有者 長法寺
  この紅梅の木は、樹齢推定250年以上の黒竜伏臥の状を呈し、早春開花の時は鐘桜に映じ見事な眺めである。もと旧西福寺にあったのを移植したと伝えられている。西福寺は、八幡宮の北大師堂と地蔵堂の所にあった寺。
 
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